道庭村(読み)どうにわむら

日本歴史地名大系 「道庭村」の解説

道庭村
どうにわむら

[現在地名]東金市道庭

菱沼(ひしぬま)村の北西に位置し、御成新(おなりしん)道が通る。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高七二〇石。正保国絵図では高六〇〇石。元禄一三年(一七〇〇)から高四三八石余が下総結城藩領となる(下総結城藩領知目録)。元禄郷帳では高六〇二石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高六二六石余、家数七五、幕府領・結城藩領・旗本橘領。領主は幕末まで同じ(旧高旧領取調帳)。同二年当村や家子(いえのこ)村など七ヵ村が鷹場御用の宿方を東金町の指図を受けずに勝手に勤めたとして東金町と出入になっている(福俵区有文書)。


道庭村
どうにわむら

[現在地名]吉川町道庭

中曾根(なかそね)村の南に位置し、村の西を古利根川、村内中央を二郷半領(にごうはんりよう)用水が貫流する。田園簿に村名がみえ、田高二一〇石余・畑高三七石余で、幕府領。化政期の家数二〇(風土記稿)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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