デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「道法法親王」の解説 道法法親王 どうほうほうしんのう 1166-1214 平安後期-鎌倉時代,後白河天皇の皇子。仁安(にんあん)元年11月13日生まれ。母は法眼(ほうげん)応仁(おうにん)の娘。真言宗。仁和(にんな)寺で出家,兄守覚(しゅかく)法親王より灌頂(かんじょう)をうける。元暦(げんりゃく)2年親王となる。六勝寺検校(けんぎょう),仁和寺総法務をつとめ,後高野御室(おむろ)と称された。建保(けんぽ)2年11月21日死去。49歳。法名ははじめ尊性。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「道法法親王」の解説 道法法親王 没年:建保2.11.21(1214.12.23) 生年:仁安1.11.13(1166.12.7) 鎌倉初期の真言宗僧。後白河上皇の第8皇子。母は宮法眼応仁の娘。兄の守覚法親王の弟子となり,そのあとを受けて六勝寺検校など仏教界の重職にあって,後鳥羽上皇の修法を数多く勤めた。晩年の守覚とは不和を噂された。後高野御室と称される。 (土谷恵) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
367日誕生日大事典 「道法法親王」の解説 道法法親王 (どうほうほっしんのう) 生年月日:1166年11月13日平安時代後期;鎌倉時代前期の真言宗の僧1214年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by