20世紀日本人名事典 「遠地輝武」の解説
遠地 輝武
オンチ テルタケ
- 生年
- 明治34(1901)年4月21日
- 没年
- 昭和42(1967)年6月14日
- 出生地
- 兵庫県飾磨郡八幡村(現・姫路市)
- 本名
- 木村 重夫(キムラ シゲオ)
- 別名
- 別筆名=本地 輝武,本地 正輝
- 学歴〔年〕
- 日本美術学校卒
- 経歴
- 大正14年「DaDais」を創刊し、同年「夢と白骨との接吻」を刊行するが即日発禁となる。詩、小説、評論を「赤と黒」などに発表し、プロレタリア詩人として昭和4年「人間病患者」を刊行。9年には「石川啄木の研究」「近代日本詩の史的展望」を刊行。戦争中は美術活動をし、戦後は21年に共産党に入党し、新日本文学会に参加。戦後の詩集に「挿木と雲」「心象詩集」「癌」などがあり、評論集に「現代詩の体験」などがある。また美術評論家としても活躍し「日本近代美術史」「現代絵画の四季」などの著書がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報