朝日日本歴史人物事典 「遠藤清子」の解説
遠藤清子
生年:明治15.2.1(1882)
明治大正期の評論家。神田区猿楽町(神田猿楽町)生まれ。士族の父親の仕事の失敗から府立第1高女中退。東京府教員伝習所を経て19歳で綾瀬の弘道小学校教師となる。明治38(1905)年上京,電報通信社に勤め,女性の政治参加を禁じた治安警察法第5条改正の運動に加わる。失恋から自殺未遂後,作家岩野泡鳴と出会い同棲。『青鞜』に小説,随筆を書くが,本領は「母の胎内において男女は平等であった」などの評論にある。泡鳴との結婚,出産を経て,泡鳴の女性問題で別居。1年間の離婚裁判は妻の座を法的に認めさせた。離婚後画学生遠藤達之助と同棲。著書に泡鳴との出会いから別れまでを日記体でを綴った『愛の争闘』がある。
(尾形明子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報