詩人、評論家、小説家、劇作家。本名美衛(よしえ)。明治6年1月20日、兵庫県洲本(すもと)に生まれる。父直夫(ただお)、母さとの長男。岩野家は初代より阿波(あわ)藩蜂須賀(はちすか)家に仕え、代々江戸詰直参(じきさん)であったが、1871年(明治4)洲本に転住。直参派と城代家老との拮抗(きっこう)、いわゆる稲田騒動の余波もあって、泡鳴は小学校当時、土地の者から迫害され、独存自我が生成されていった。これは泡鳴文学の発祥基盤でもあった。1887年大阪の泰西学館で受洗。1888年一家をあげて上京。明治学院や専修学校(専修大学の前身)で学ぶが中退。1891年押川方義(おしかわまさよし)を慕い、仙台神学校に赴く。文学修業時代であった。1894年戯曲『悲劇魂迷月中刃(たまはまようげっちゅうのやいば)』を発表。1895年竹腰(たけのこし)こうと強引に結婚。1899年大津市に移住。滋賀県立第二中学校で英語教師などをした。1901年(明治34)第一詩集『露じも』を自費出版。1902年帰京。1903年詩歌雑誌『白百合(しらゆり)』を創刊。第二詩集『夕潮』(1904)から『悲恋悲歌』(1905)、『闇(やみ)の盃盤(はいばん)』(1908)、『恋のしやりかうべ』(1915)と、つごう5詩集を数えた。
1906年に処女小説『芸者小竹』を、また泡鳴文学の思想の原型ともなった『神秘的半獣主義』を刊行。さらに1907年にはわが国最初の『新体詩史』を手がけたり、『新体詩作法』や、評論集『新自然主義』(1908)を発表。先輩の自然主義作家島崎藤村(とうそん)、田山花袋(かたい)、評論家の長谷川天渓(てんけい)、島村抱月(ほうげつ)などや、反自然主義の夏目漱石(そうせき)一派にも厳しく対立し、いわゆる「新自然主義文学」の立場を標榜(ひょうぼう)した。1909年『耽溺(たんでき)』で作家として地位を確立。樺太(からふと)(サハリン)でカニの缶詰事業に手を出し失敗したが、この体験が彼一代の長編『泡鳴五部作』を生み出す。樺太、北海道を放浪し、1909年帰京。妻と別居し、女性運動家遠藤清子(のち第二の妻)と同棲(どうせい)。「霊が勝つか肉が勝つか」と騒がれた。描写面では花袋の平面描写に対して一元描写を主張したのは有名。1913年(大正2)にはA・シモンズの『表象派の文学運動』を訳し、小林秀雄(ひでお)、中原中也(ちゅうや)などに多大な影響を与えた。評論集『近代思想と実生活』(1913)、『近代生活の解剖』(1915)は、日本主義の主張とあわせて読むべき貴重なもの。短編群にも優れ、労働物、有情滑稽物(こっけいもの)などにもみるべきものがある。3回も結婚するなど波瀾(はらん)の多い一生で、家庭的には恵まれなかった。その個性の非凡なこと、生命主義とその実行性は、類を絶するものであった。大正9年5月9日、大腸穿孔(せんこう)のため落命。墓所は雑司ヶ谷(ぞうしがや)(東京都豊島区)。法名「泡鳴居士」。
[伴 悦]
『『日本文学全集13 岩野泡鳴』(1974・集英社)』▽『『筑摩現代文学大系5 岩野泡鳴他集』(1977・筑摩書房)』▽『大久保典夫著『岩野泡鳴の時代』(1973・冬樹社)』▽『伴悦著『岩野泡鳴論』(1977・双文社)』
明治・大正期の詩人,小説家,評論家,劇作家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
詩人,小説家,評論家。本名美衛(よしえ)。兵庫県淡路島洲本の生れ。1887年,伝道師を志し大阪で洗礼を受けたが,翌年,警察官だった父の転住で上京,明治学院や専修学校(現,専修大学)に学んだ。このころから滝沢馬琴を耽読,国木田独歩らと《文壇》を出したりしたが,91年,キリスト教教育家の押川方義(おしかわまさよし)を慕って仙台に赴く。94年まで東北学院に在籍し,懐疑と煩悶を重ねることになったが,多様な読書体験とともにその思想形成に大きく影響した時期である。脚本家を断念し詩作に道を求めて,1901年の第1詩集《露じも》を機に旺盛な執筆活動に入った。09年の《耽溺(たんでき)》で自然主義作家としての地歩を築き,以後,樺太での缶詰事業に失敗するなど数奇な人生を歩むなかで,《放浪》以下の五部作を完成する。一方,《放浪》の序文に始まる描写論を中心とした評論活動も活発で,田山花袋の平面描写に対置される一元描写論が有名である。刹那の生の充足を訴え,その思想の根幹をなすと認められる《神秘的半獣主義》(1906)から,独自の日本主義を唱えた《近代生活の解剖》《古神道大義》(以上1915),さらに《刹那哲学の建設》(1920)などにおよぶ仕事は,この個性的な,そしてつねに話題を呼び褒貶(ほうへん)の渦中にあった作家の姿を,ビビッドに伝えている。刹那主義,生々発展主義をかかげた強烈な自我主張は,〈偉大なる馬鹿〉と言われつつも,個を抑圧した日本の近代を映し出す,合せ鏡のような役割を担ったものであると言える。
執筆者:榎本 隆司
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(佐伯順子)
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…たとえば独歩の場合,カーライルの中心的思想を述べた《衣装哲学》や《フランス革命史》よりも,より通俗的な《英雄論》に,またワーズワースでもその叙事詩的な三部の大作《序曲》14巻以下の思想的内面性よりも,その抒情詩に見る悲哀の情感への共感を示した。エマソンの《自然論》に深く啓発されたという岩野泡鳴の場合もその《神秘的半獣主義》(1906)の語るごとく,形而上的感化よりも日本的生命主義ともよぶべき人間主義へと傾き,ついには古神道的思想へと走ることになる。このキリスト教思想からの離反・逸脱は独歩,藤村,泡鳴をはじめ徳冨蘆花や木下尚江ら多くの文学者に見られるところであり,キリスト教と日本的心性をめぐる対峙相反の矛盾はひとり明治期のみならず今日にまで至る問題であろう。…
…批評書としてはブラウニング研究(1886),ペーター研究(1932),ほかに《イギリス詩におけるロマン主義運動》(1909)など多数あるが,代表作は1899年に発表した《文学における象徴主義運動》で,イギリス国内に大きな影響を及ぼしたほか,国外にも感化が及んだ。例えば1913年にこの本は岩野泡鳴の手で訳され,《表象派の文学運動》という題で日本に紹介された。訳は必ずしもよいとはいえないが,大正から昭和初期にかけて文学者の間に衝撃をまき起こし,日本の象徴派文学に一つの紀元を画した。…
…岩野泡鳴の長編小説。1910年(明治43)東雲堂刊。…
※「岩野泡鳴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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