日本歴史地名大系 「遠軽村」の解説 遠軽村えんがるむら 北海道:網走支庁遠軽町遠軽村[現在地名]紋別郡遠軽町一条通北(いちじようどおりきた)・一条通南(いちじようどおりみなみ)・二条通北(にじようどおりきた)・二条通南(にじようどおりみなみ)・岩見通北(いわみどおりきた)・岩見通南(いわみどおりみなみ)・大通北(おおどおりきた)・大通南(おおどおりみなみ)・学田(がくでん)・字柏(かしわ)・字清川(きよかわ)・寿町(ことぶきちよう)・字栄野(さかえの)・字社名渕(しやなふち)・瀬戸瀬西町(せとせにしまち)・瀬戸瀬東町(せとせひがしまち)・字千代田(ちよだ)・字留岡(とめおか)・字豊里(とよさと)・西町(にしまち)・字野上(のがみ)・字白竜(はくりゆう)・東町(ひがしまち)・福路(ふくろ)・字丸大(まるだい)・南町(みなみまち)・字見晴(みはらし)・字美山(みやま)・宮前町(みやまえちよう)・字向遠軽(むかいえんがる)・字弥生(やよい)・字湯の里(ゆのさと)・字若咲内(わかさくない)・字若松(わかまつ)、丸瀬布(まるせつぷ)町中町(なかまち)など、白滝(しらたき)村字白滝など、生田原(いくたはら)町字生田原など大正八年(一九一九)から同一四年まで存続した紋別郡の村。 遠軽村えんがるむら 北海道:網走支庁遠軽町遠軽村大正一四年(一九二五)から昭和九年(一九三四)まで存続した紋別郡の村。国鉄石北東(せきほくとう)線(現JR石北本線)と国鉄湧別(ゆうべつ)線の分岐点をめぐる対立が原因となって大正一四年一月遠軽村から生田原(いくたはら)村(現生田原町)が分村して成立。同年の戸口二千二四九戸・一万二千三一三人。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by