日本歴史地名大系 「那古野神社」の解説
那古野神社
なごやじんじや
[現在地名]中区丸の内二丁目
延喜一一年(九一一)創建。天文元年(一五三二)二月、織田信秀と今川氏豊との那古野合戦の兵火で焼失したが、同八年再営。慶長一五年(一六一〇)名古屋城築城に際し、家康は当社と若宮八幡社が障害になるため、いずれかを移転させようとくじを引き、若宮八幡社を
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
延喜一一年(九一一)創建。天文元年(一五三二)二月、織田信秀と今川氏豊との那古野合戦の兵火で焼失したが、同八年再営。慶長一五年(一六一〇)名古屋城築城に際し、家康は当社と若宮八幡社が障害になるため、いずれかを移転させようとくじを引き、若宮八幡社を
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...