那須信吾(読み)なす・しんご

朝日日本歴史人物事典 「那須信吾」の解説

那須信吾

没年:文久3.9.24(1863.11.5)
生年:文政12(1829)
幕末土佐(高知)藩の郷士,勤王運動家。土佐藩家老深尾氏家臣浜田光章の次男,高岡郡檮原村の郷士那須俊平養子。本名重民,通称信吾。体格雄偉,体力衆に抜きん出て武芸に秀でた。土佐勤王党参画。文久2(1862)年,武市瑞山ら勤王党は一藩勤王論を主張して京都に押し出そうと参政吉田東洋に盛んに進言したが遮られ,その抹殺を謀った。信吾は,安岡嘉助,大石団蔵と4月8日に吉田を暗殺し,長州に脱出,京坂の間に転じ,国事に奔走,3年8月,大和五条代官所襲撃に始まる天誅組の乱に幹部となり奮戦,9月24日吉野の鷲家口で戦死した。宮内大臣を勤めた田中光顕は甥。<参考文献>田中光顕『維新風雲回顧録』

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「那須信吾」の解説

那須信吾 なす-しんご

1829-1863 幕末の武士
文政12年11月11日生まれ。那須俊平の養子。土佐高知藩の郷士。武市瑞山(ずいざん)の土佐勤王党にはいる。文久2年同志の安岡嘉助,大石団蔵とともに参政の吉田東洋を暗殺,脱藩する。3年天誅(てんちゅう)組の挙兵軍監として参加,同年9月24日大和(奈良県)鷲家口(わしかぐち)で戦死した。35歳。本姓は浜田。名は重民。変名は石原武(幾)之進。

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