日本歴史地名大系 「都夫良野村」の解説
都夫良野村
つぶらのむら
南を
近世は小田原藩領。貞享三年(一六八六)の村明細帳(県史五)によれば田七畝余、畑九町八反余、山畑九町八反余、年貢に漆四九五匁、柿渋を納め、藩主の猪狩には村筒役を勤めた。宝永四年(一七〇七)の富士山噴火の被害は大きく、安永二年(一七七三)七月の新屋敷地検分願書(同書)によれば、所々へ離散していた一七家がおいおい立帰り、かつての屋敷地が居住困難のために畑を新たな屋敷地として届出ている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報