日本の城がわかる事典 「都於郡城」の解説 とのこおりじょう【都於郡城】 宮崎県西都(さいと)市都於郡(とのこおり)町にあった山城(やまじろ)。標高100mの台地に築かれており、台地の周りは急峻な断崖に囲まれ、西と北方は三財川が外堀の役目を果たしている。城(本城)の縄張りは、本丸・二の丸・三の丸・西の城・奥の城と5つの曲輪(くるわ)で構成されていて、それぞれの曲輪は深い空堀によって仕切られている。城は1335年(建武4)に伊東祐持によって築かれた。以後、城は伊東氏の本城として拡張整備され、伊東氏48城の支城網が整備されて義祐の代に最盛期を迎えた。日向の大半をその版図としたが、1577年(天正5)に薩摩の島津義久に敗れ、豊後の大友宗麟(そうりん)を頼って日向を去った。伊東氏出奔後、城は島津氏の所領となり、鎌田政親が城主となったが、1587年(天正15)、豊臣秀吉の九州征伐の後は、佐土原城主島津氏の所領となり、1615年(元和1)の一国一城令により廃城となった。JR日豊本線佐土原駅からバス27分で宮崎交通西都営業所(西都バスセンター)下車、バス乗り換え都於郡下車、徒歩10分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報