都賀郷(読み)つがごう

日本歴史地名大系 「都賀郷」の解説

都賀郷
つがごう

江川中流域、現在の大和村都賀本郷つがほんごう・都賀西・都賀行つがゆきを中心とした一帯に比定される。戦国期、都賀西には要路ようろ(用路城)があった。貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文に邑智郡の公領として「都賀(ハカ)へのちよまつ 廿二丁八反三百卜」とみえる。ただし都賀は異筆で、同注文執筆後の追記とみられる。応永一一年(一四〇四)八月二三日の伊勢神宮旦那引注文(神宮文庫所蔵文書)には「石見国都賀郷道場光台寺」とみえる。当時伊勢信仰の拠点がこの地にあったことがわかり、その教線は波禰はね(現大田市)にまで広がっていた。同注文には伊勢参詣の先達として都賀二郎五郎証光の名がみえ、この地域の領主都賀氏一族と思われる。室町時代にはこの地はすでに出雲赤穴あかな(現赤来町)から石見国の江川筋への交通路となっていたものと考えられ、応永一三年八月一一日の佐波常連譲状(閥閲録)に「つか(都賀)ゑとおるみち」とみえる。

都賀郷
つがごう

和名抄」所載の郷。諸本とも都賀と記し、東急本・元和古活字本は「都加波」の訓を付す。現大和だいわ都賀本郷つがほんごうなどを遺称地とする。現同村都賀本郷・都賀行つがゆき比敷ひじき村之郷むらのごう宮内みやうち、現飯石いいし赤来あかぎ塩谷しおだに井戸谷いどだに畑田はたた、現瑞穂みずほ八色石やいろいし布施ふせ(大日本地名辞書)、または現大和村一帯および現赤来町井戸谷、現瑞穂町伏谷ふしたに布施・八色石、現羽須美はすみ今井いまい宇都井うづいに比定される(島根県史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報