ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「里村家」の意味・わかりやすい解説
里村家
さとむらけ
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…1448年(文安5)幕府の命により京都北野社の連歌会所の奉行職に高山宗砌(そうぜい)がつき,そのあと,能阿,宗伊,宗祇(そうぎ),兼載らが任ぜられたが,この人々は宗匠と称された。里村昌叱(しようしつ)は豊臣秀吉から,昌琢(しようたく)は徳川秀忠から朱印状を下付され,花の本(はなのもと)宗匠家として認められて,以後,里村家は幕府の連歌師を勤めた。西山宗因は里村家の推挙で大坂の天満宮連歌所宗匠となった。…
…とりわけ,専門連歌師が連歌の会果ててのち余興として俳諧をもてあそぶことが流行し,そこからやがて専門の俳諧師が育っていった。連歌の名門里村家は16世紀の中ごろ南北両家に分かれたが,南家2代昌琢(しようたく)の門からは徳元(とくげん),重頼(しげより),宗因(そういん)ら,北家初代紹巴(じようは)の門からは貞徳,それに猪苗代(いなわしろ)家の縁につながる立圃(りゆうほ)らが出た。これらの人々はそれぞれ一門を構えるが,なかでも勢力のあったのは学殖と人脈に恵まれた貞徳であり,本来系列を異にする徳元,重頼,立圃らもやがてその傘下へ組み入れられてしまう。…
…やがて連歌師は世襲制によって既得の地位を守ろうとするようになる。すでに谷宗牧・宗養父子にそのきざしがあったが,それが公然とした形をとるのは里村昌休・昌叱(しようしつ)父子においてであり,昌休が昌叱の養育を紹巴に託したことから,里村家はやがて昌叱系の南家と,紹巴系の北家に分立し,江戸時代を通じて幕府に奉仕する〈連歌の家〉の代表格となる。ほかにも,幕府や地方大名に仕えた連歌師はほとんどが世襲であったことから幕末まで命脈を保つが,作者としての活動には見るべきものはない。…
※「里村家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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