里村昌休(読み)さとむらしょうきゅう

朝日日本歴史人物事典 「里村昌休」の解説

里村昌休

没年:天文21.11.5(1552.11.20)
生年:永正7(1510)
室町時代の連歌師。俗名は里村弥次郎尭景。指雪斎と号した。子に昌叱がいる。天文3(1534)年の飛鳥井家和歌,蹴鞠の会に俗名で出席しており,在俗時から公家社会と接触を持っていた。周桂,谷宗牧に連歌を学び天文年間(1532~55)に活躍。両者亡きあとには寿慶と共に連歌界を背負って立った。里村紹巴弟子として指導してもいる。作品は発句集に『昌休発句集』がある。また『源氏物語』の注釈書『休聞抄』も著しているが,それには宗牧の説の引用が多く,宗牧に多くを学んだことがうかがわれる。<参考文献>木藤才蔵『連歌史論考』下

(伊藤伸江)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「里村昌休」の解説

里村昌休 さとむら-しょうきゅう

1510-1552 戦国時代の連歌師。
永正(えいしょう)7年生まれ。谷宗牧(そうぼく)にまなび,宗牧の死後,連歌界を指導した。弟子に里村紹巴(じょうは)がいる。天文(てんぶん)21年11月5日死去。43歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。名は尭景。通称は弥次(二)郎。別号に指雪斎。著作に「休聞(きゅうもん)抄」「昌休発句集」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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