重永庄(読み)しげながのしよう

日本歴史地名大系 「重永庄」の解説

重永庄
しげながのしよう

江戸時代の重永・田打とうち中原なかばら三郎丸さぶろうまる青山あおやまの五ヵ村の地が荘域と伝えられ、井折いおりの一部が飛地と考えられる。北に大田おおた庄、南にくい(現御調郡久井町)がある。立荘の時期や領家は不明であるが、地頭職中原氏の一族で、鎌倉・室町両幕府評定衆・問注所寄人・引付衆などを歴任した摂津氏が伝領した。暦応四年(一三四一)八月七日付摂津親秀譲状(美吉文書)には、親氏分として重永別作内本庄半分、残りの半分が摂津三郎時親分、重永別作内新庄は京都西芳さいほう寺領とある。のち地頭職は時親の子孫に伝えられた(「士林証文」松平忠和氏蔵)地形からみて、本庄は重永・田打、新庄は中原・三郎丸・青山の地と考えられる。

大田佐賀寿丸代藤原光盛軍忠状写や長信仲軍忠状写(ともに山内首藤家文書)によると、建武三年(一三三六)九月、大田と重永の境で北朝方と南朝方の合戦があり、重永城郭に立てこもった南朝方が追落されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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