日本歴史地名大系 「重永庄」の解説
重永庄
しげながのしよう
江戸時代の重永・
大田佐賀寿丸代藤原光盛軍忠状写や長信仲軍忠状写(ともに山内首藤家文書)によると、建武三年(一三三六)九月、大田と重永の境で北朝方と南朝方の合戦があり、重永城郭に立てこもった南朝方が追落されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
江戸時代の重永・
大田佐賀寿丸代藤原光盛軍忠状写や長信仲軍忠状写(ともに山内首藤家文書)によると、建武三年(一三三六)九月、大田と重永の境で北朝方と南朝方の合戦があり、重永城郭に立てこもった南朝方が追落されている。
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その議会の過半数には達しないが、議席数をもっとも多くもつ政党。...