脇山(読み)わきやま

日本歴史地名大系 「脇山」の解説

脇山
わきやま

室見(むろみ)川本流とその支流小笠木(おかさぎ)川・椎原(しいば)川の流域を含む地域の総称。嘉保三年(一〇九六)大蔵種房は背振(せふり)山上宮住僧睿恒がこの地方に下宮・堂舎を建立して殺傷禁断の地となし、僧侶を住まわせて天下の安穏を祈りたいとする申出を受け、先祖相伝の私領の地を四至を限って背振山に施入した。その範囲は西は「持井広瀬大隈長峯松」、北は「河不知木原安石庄境」とされている(嘉保三年六月二九日「貫主大蔵種房寄進状案」修学院文書/平安遺文一〇)。この地が脇山もしくは横山(よこやま)とよばれ、以後背振山領となっている。その後しばらく史料を欠くが、元徳二年(一三三〇)八月二七日の東門寺一和尚某下文(同文書/鎌倉遺文四〇)には「筑前国脇山院」、建武二年(一三三五)一〇月三日の隆舜等連署売券(黒田家文書/南北朝遺文(九州編)一)には「筑前国早良郡脇山院」とあり、坊等も多く存在していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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