野本新田村(読み)のもとしんでんむら

日本歴史地名大系 「野本新田村」の解説

野本新田村
のもとしんでんむら

[現在地名]吉田町野本新田

集落と耕地平井ひらい新田村と錯雑する。粟生津あおうづ村の荒蕪地を開発し、承応三年(一六五四)に長岡藩の検地をうけた(皇国地誌)。元禄郷帳は粟生津村枝郷野本新田村とし、高二九七石七斗余。伝流でんりゆう(真宗大谷派)の寛文九年(一六六九)の宣如上人絵像裏書に「伝竜寺」とあり、宝永四年(一七〇七)改称。当時願生がんしよう寺の塔頭で、享保年間(一七一六―三六)中興開基窓心の代に現在地に移転、独立したという。願生寺の檀家はなかくち川左岸の現燕市域に及び、伝流寺の田地も当村・平井新田・大田おおた・粟生津・下粟生津各村村に点在していたという。当村や平井新田村の成立と開発は、両寺を中心とする真宗門徒の力によるところが大きいと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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