日本歴史地名大系 「野母崎町」の解説 野母崎町のもざきちよう 長崎県:西彼杵郡野母崎町面積:二〇・九一平方キロ長崎半島の南西端に位置し、南東部は天草(あまくさ)灘に面する。北東は三和(さんわ)町に接し、北西方沖に高島(たかしま)町がある。町域の北東部に二(に)ノ岳(三二五・五メートル)、中央部南寄りに殿隠(とのがくれ)山(二六三メートル)・遠見(とおみ)山(二五九メートル)、半島の先端部に権現(ごんげん)山(一九八・四メートル)などの山嶺があるが、河川の発達はみられず、また平坦地に乏しい。海岸線は多くの岬・入江を形成し、多様な景観をみせ、北西岸には野母漁港の入江、南東岸には脇(わき)岬が突き出している。町域南西部の一帯は野母半島県立公園のうち。脇岬の南方には樺(かば)島(面積二・二二二平方キロ)がある。国道四九九号、主要地方道の野母崎宿線が通る。脇岬(わきみさき)遺跡は縄文時代前期から弥生時代中期初頭、さらに中世にわたる遺跡で、中国江南の竜泉窯と推定される陶磁器片も発見されるなど、海とかかわりを強くもつ文化相をみせる。律令制下では樺島(かばしま)・脇御崎(わきみさき)は高来(たかく)郡域で、ほかは彼杵(そのき)郡のうちであったと考えられ、脇岬の観音寺は八世紀初めの創建という伝承がある。中世は彼杵庄戸町(とまち)浦のうちと考えられ、樺島は伊佐早(いさはや)庄のうちであった。戸町浦は戸町氏の知行であったらしいが、鎌倉期から町域の地名を称する高浜氏・野母氏(野茂氏)がいた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by