野母崎(読み)ノモザキ

デジタル大辞泉 「野母崎」の意味・読み・例文・類語

のも‐ざき【野母崎】

長崎県南部、長崎半島南端にある岬。閃緑岩からなる50~80メートルの海食がいでできている。近くに標高198メートルの権現ごんげん山展望公園があり、展望台からは東シナ海を一望できる。
長崎県南部、長崎半島南端の旧町名。現在は長崎市に属する。温暖な気候のためバナナ・ミカンなどの栽培が盛ん。「野母の盆踊り」は国の選択無形民俗文化財観音寺の「木造千手せんじゅ観音立像」は国指定重要文化財かば島大橋で対岸の樺島と結ばれている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「野母崎」の意味・わかりやすい解説

野母崎
のもざき

長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡にあった旧町名(野母崎町(ちょう))。現在は長崎市南部の一地域。旧野母崎町は1955年(昭和30)野母、脇岬(わきみさき)、樺島(かばしま)の3村と高浜(たかはま)村の一部が合併して町制施行。2005年(平成17)長崎市に編入。旧町域は、長崎半島の南端部に位置し、島嶼(とうしょ)の樺島、中島を含む。国道499号が通じ、両島は樺島大橋で半島と結ばれている。産業は漁業を主とし、第二次世界大戦後イワシの最盛期には揚繰(あぐり)網66統を数えたが、現在は沖合延縄(はえなわ)漁業に転換し、企業的な雇用漁業として遠くは東シナ海、台湾沖にも出漁している。農業はビワサツマイモ、ミカンの栽培が行われ、脇岬町井上(いかみ)には亜熱帯植物園「サザンパーク野母崎」がある。赤瀬には長崎大学水産学部附属水産実験所があったが、1997年に改組して長崎大学水産学部附属海洋資源教育研究センターとなり、1999年から長崎市多以良(たいら)町に移転、さらに2005年に改組されて環東シナ海海洋環境資源研究センターとなった。半島の先端は、野母崎・脇岬の二つに分岐し、前者には、山頂の遠見(とおみ)番所跡を展望台に利用した権現(ごんげん)山があり、後者には陸繋島(りくけいとう)となっている祇園(ぎおん)山、弁天(べんてん)山があって樺島に相対する。樺島の古井戸にはオオウナギが生息し、「オオウナギ生息地」として国の天然記念物に指定されている。「みさきの観音」とよばれ信仰をあつめた観音寺の木造千手観音(せんじゅかんのん)立像は国指定重要文化財。野母の盆踊(ぼんおどり)は国選択無形民俗文化財。樺島灯台公園、国民宿舎「海の健康村」、海水浴場などがある。

[石井泰義]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「野母崎」の意味・わかりやすい解説

野母崎
のもざき

長崎県南部,長崎市南部の旧町域。長崎半島の南端にある。先端の樺島を含む。 1955年野母村,脇岬村,樺島村の3村と高浜村の一部が合体して町制。 2005年長崎市に編入。三方を海に囲まれ漁業を中心に営み,1955年頃まではイワシ網漁で栄えた。小型巻網,一本釣り,沖合延縄漁が主で,カタクチイワシの煮干しやからすみなどの水産加工が行なわれる。沖合延縄漁では東シナ海や台湾沖にまで出漁している。権現山 (198m) は野母崎に近い好展望地で,江戸時代には幕府の遠見番所が置かれたところ。脇岬にある観音寺の天井絵は貴重。樺島のオオウナギ生息地は国の天然記念物。ほかに亜熱帯植物園,マリンランドなどが知られる。大部分が野母半島県立自然公園に属する。

野母崎
のもざき

長崎県南部,長崎半島の先端にあり,東シナ海に臨む岬。長崎市に属する。岬周辺には海食崖が発達。背後の権現山 (198m) は江戸時代に幕府の遠見番所が置かれた好展望地で,旧海軍の望楼,次いでアメリカ軍のレーダ基地ともなった。野母半島県立自然公園に属する。

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改訂新版 世界大百科事典 「野母崎」の意味・わかりやすい解説

野母崎 (のもざき)

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