20世紀日本人名事典 「野田豁通」の解説 野田 豁通ノダ ヒロミチ 明治・大正期の男爵 陸軍主計総監。 生年弘化1年12月(1845年) 没年大正2(1913)年1月6日 出身地肥後国熊本(熊本県) 経歴熊本藩士石光文平の三男で、のち野田淳平の嗣子となる。幼時より横井小楠の塾に学び、明治元年戊辰戦争で功を立てた。同年兵部少輔、さらに軍事参謀試補兼軍事会計総轄となり、2年五稜郭の攻撃に従軍。のち胆沢、弘前などの参事となり、さらに陸軍会計史となった。10年西南戦争には第3旅団会計部長として従い、以来累進して陸軍省経理局長となり、28年日清戦争での功により男爵を授けられた。のち陸軍主計総監に進み、陸軍中唯一の最高主計官に就任。34年予備役に退いてのち、貴院議員に勅選された。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野田豁通」の解説 野田豁通 のだ-ひろみち 1844-1913 明治時代の軍人。天保(てんぽう)15年7月24日生まれ。もと肥後熊本藩士。横井小楠(しょうなん)の門にまなぶ。戊辰(ぼしん)戦争に従軍。明治6年陸軍会計軍吏となり,24年経理局長。30年監督総監。37年貴族院議員。大正2年1月6日死去。70歳。本姓は石光。通称は大造。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by