日本歴史地名大系 「野門村」の解説 野門村のかどむら 栃木県:塩谷郡栗山村野門村[現在地名]栗山村野門川俣(かわまた)村の東、日光連山の北側に位置し、中央部を鬼怒川が東流する。上栗山村へ通じる道、萱(かや)峠を越えて川俣本村へ通じる道、また帝釈(たいしやく)山と小真名子(こまなご)山の間にある富士見(ふじみ)峠を南進して日光町へ通じる脇道がある。地名は畑を荒らす野獣が多いため、村域に柴垣で囲い門を作ったことによるとも、また平家の落人が隣村川俣を一族の霊地と定め、当地に柴垣の門を作り入口としたことによるともいわれる。近世はおおむね日光領。寛文六年(一六六六)日光領総検地により、反別畑・屋敷のみ一五町一反余、高三三石余が確定したものと思われ(「日光御領石高家数人別掃除丁場控」関根矢太郎文書)、以後の高は変わらない。年貢は定免金納で、近世期を通して金三両三分余である。またいつの頃からか不明であるが、年々、日光山本坊御殿役所へ蕎麦六斗八升を上納している(「覚」百目鬼彦四郎文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by