金井原(読み)かないばら

日本歴史地名大系 「金井原」の解説

金井原
かないばら

多摩川左岸、中世の鎌倉街道の東方にあたり、近世の小金井村(上小金井村・下小金井村)一帯に比定される。観応三年(正平七年、一三五二)閏二月、室町幕府内部の足利尊氏・直義の抗争(観応の擾乱)好機とみた南朝方の新田義興・義宗兄弟が上野国で挙兵し、鎌倉街道を南下して鎌倉に向かった。尊氏はこれを迎え撃つために同月一九日に多摩川の谷口やぐち(現稲城市)に着陣した。そのとき尊氏に従った八文字一揆の高麗季澄は、同月二〇日の金井原の合戦で戦功をあげている(観応三年五月日「高麗季澄着到状」町田文書)一族の高麗経澄の軍忠状は同日に人見ひとみ(現府中市)でも合戦があったとしており(正平七年三月日「高麗経澄軍忠状」同文書)、同日に武蔵野原で大合戦があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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