朝日日本歴史人物事典 「金光房」の解説
金光房
生年:久寿2(1155)
鎌倉初期の浄土宗の僧。法然の弟子。奥州に浄土教を広めた開教者。金光禅師あるいは石垣の金光房と呼ばれる。幼時に筑後国(福岡県)石垣の観音寺で出家し,比叡山で学び,のちに観音寺の別当となる。所領の訴訟のために鎌倉に行き,法然の直弟子の安楽房遵西に会い,浄土宗に帰依する。訴訟を捨てて,京都に行き法然門下に入る。法然が自作の寿像を金光房に与えたとも伝えられる。奥州に遊化して,陸奥国(宮城県)栗原郡の往生寺,津軽郡行岳村の西光寺を建立し,大中山梵場寺を再興。一説には法然門下の念仏者に加えられた嘉禄の法難で陸奥国に配流ともいわれる。
(林淳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報