金剛寺城跡(読み)こんごうじじようあと

日本歴史地名大系 「金剛寺城跡」の解説

金剛寺城跡
こんごうじじようあと

[現在地名]近江八幡市金剛寺町 古城など

金剛寺町の集落およびその東側の田地金田かねだ小学校付近にあった六角氏の居城。守護佐々木氏は鎌倉時代小脇おわき(現八日市市)本拠としたが、同時代末頃に佐々木六角頼綱が金田(佐々木信綱の郎等金田七郎の本貫地という)に居館を移したようで、金田殿と称された。応安四年(一三七一)一二月八日の比牟礼八幡宮神領注文(日牟礼八幡宮文書)には、金田殿・芝田原殿(時信)・同三郎殿(氏頼)・亀寿殿(満高)の名がみえ、居館は金田館と称された。頼綱の孫氏頼は亡父時信の菩提を弔うため当地に金剛寺を建立、同三年の京都での氏頼死去に際しては「空華日用工夫略集」に「芳庭和尚来告上京、将弔六角殿、先著江州金剛寺」とあるが、寺名が城名になったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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