金剛寿院跡(読み)こんごうじゆいんあと

日本歴史地名大系 「金剛寿院跡」の解説

金剛寿院跡
こんごうじゆいんあと

[現在地名]大津市坂本本町

位置は未詳で、現存しない。後三条院の御願寺で、法性寺の座主覚深が造営。大日如来坐像、如意輪延命などの像を祀り、回廊・中門・僧房などもあった(「阿娑縛抄諸寺縁起」など)。「百錬抄」承保三年(一〇七六)六月一三日条に東塔金剛寿院の供養のことがみえるから、この年の創建か。承久四年(一二二二)六月三日に阿闍梨二口が定められ、暦仁元年(一二三八)一二月三日の四条天皇綸旨案(勝尾寺文書)にも院号が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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