金剛心院跡(読み)こんごうしんいんあと

日本歴史地名大系 「金剛心院跡」の解説

金剛心院跡
こんごうしんいんあと

[現在地名]高野町高野山

宝寿ほうじゆ院内専修学院寮の敷地にあったが、現存しない。「続風土記」は「往古華構の大伽藍を創建せられ」と記す。「高野春秋」によれば天養元年(一一四四)二月、藤原忠実が登山し、時の検校琳賢に嘱して仏閣の創建を図り、その後四ヵ年を費やして久安四年(一一四八)三月に落慶。この時は忠実の子内大臣頼長が登山して参列し、金剛心院の華額を与えたと伝える。「続風土記」は、このとき金剛心院の執行職を定め、忠実より堂塔仏事料として紀伊国浜中はまなか庄を寄進されたとする。寿永二年(一一八三)閏一〇月二二日の摂政近衛基通御教書案(仁和寺文書)に「高野金剛心院并紀伊国浜仲庄」とみえ、同年基通が木曾義仲の申請を退け、京都仁和寺に元のごとく金剛心院および浜中荘の知行を命じている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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