金原井手
かなばるいで
原の用水溝ともいう。文政年間(一八一八―三〇)総庄屋西島尉助の指導で構築された用水路。原地区を中心に受水面積は約二五ヘクタール。茂田井の国有林に発する水を標高三〇〇メートルの金原で堰止め、阿蘇溶岩の山腹を約五キロにわたって掘抜いた水路を通して配水する。この水道を抜ける間に清冽な水も暖められ、稲の生育を助け、イモチ病の発生も防ぐといわれる。明治三六年(一九〇三)造立の記念碑によると、文政年間に麻生の理平次と金原の安左衛門は水不足を解決すべく、中村手永の総庄屋と多久村の庄屋を動かし測量に着手。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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