金地村(読み)かねじむら

日本歴史地名大系 「金地村」の解説

金地村
かねじむら

[現在地名]益田市虫追町むそうちよう

高津川下流域左岸地帯と白上しらかみ丘陵の東部地域で、東対岸は横田よこた村、北は虫追村。地名は往昔銅を産出したことに由来するという(石見八重葎)。江戸時代の支配の変遷は持石もちいし村と同じ。古高一〇三石余、寛永一四年(一六三七)の検地高一〇〇石余(万手鑑)正保国絵図では高一〇三石余。貞享元年(一六八四)戸田とた村庄屋松本正秀・正永父子は津和野藩家老多胡主水の無理難題で津和野城下に護送される途中、罪人扱いの態度に立腹し、当村の羽原はばらで刃傷沙汰を起こした。


金地村
かなじむら

[現在地名]南国市金地

包末かのすえ村の東に位置し、香美郡に属した。岩村いわむら郷に含まれる。村名は、当村の東に位置する神通寺じんづうじ(現香美郡土佐山田町)に鎮座する神奈地祇かなじぎ神社(旧郷社)の名にちなむという。村内には古代の条里地割がみられ、「ホコノ坪」「クノ坪」「白坪」「中ノ坪」などの坪名が残る。天正一六年(一五八八)岩村郷地検帳には小村として包地村・金地村がみえる。

元禄地払帳によると総地高四八〇石余、うち本田高四七二石余・新田高七石余。本田は蔵入地一二七石余で残りは横田弥一良ほか五名の知行

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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