金尾村(読み)かなおむら

日本歴史地名大系 「金尾村」の解説

金尾村
かなおむら

[現在地名]寄居町金尾

秩父郡に属し、東は荒川を隔て榛沢はんざわ末野すえの村。大部分が山地で、北東部に平地がある。風布ふうつぷ(釜伏川とも称する)が村の中ほどを北流して荒川へ注ぐ。末野村との間には殿倉とのくらの渡と称した作場渡しがあり、冬春の間は土橋を架したという(風土記稿)猪俣党の金尾四郎左衛門尉季範(「岡部系図」大阪府岡部和子氏蔵)は、当村を名字の地とした人物と推定され、要害ようがい(愛宕山・金尾山)はその子孫と思われる金尾弥兵衛が居城とした城跡との伝承がある(風土記稿)。元亨四年(一三二四)一〇月日の秩父社造営料木注文案(秩父神社文書)に「金尾郷分」とみえ、各種用材の種類が記される。

金尾村
かんのおむら

[現在地名]松尾町金尾

小川おがわ村の北東にあり、東部を木戸きど川が南流する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高三四六石。寛永二年(一六二五)知行宛行状で金尾村二二〇石が旗本木村氏に与えられた。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では蕪木組に属し、旗本森領二〇〇石・同小島領九〇石・同永田領四〇石・同須田領三〇石余。元禄郷帳では高三九三石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数二二、三卿の清水領のほか旗本山口・須田・木村領。

金尾村
かなおむら

[現在地名]富山市水橋金尾みずはしかなお

白岩しらいわ川左岸沿いの低湿地に位置し、南西は番頭名ばんどうみよう村。村名は日中につちゆう(現立山町)の金尾新三郎の子孫が村立てをしたことに由来するという(水橋町郷土史)。白岩川の改修工事の際、縄文時代晩期から古墳時代の遺跡が確認されている。正保郷帳では高一九五石余、田方一一町四反余・畑方一町六反。明暦二年(一六五六)の村御印留では草高二二七石・免四ツ、小物成は鮭役九匁・鱒役一匁。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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