金屋谷村(読み)かなやだにむら

日本歴史地名大系 「金屋谷村」の解説

金屋谷村
かなやだにむら

[現在地名]溝口町金屋谷

大山西麓の桝水ますみず(桝水高原)から続く緩やかな高原に位置し、大山道のうちの溝口道が村内を通る。村名の由来は製鉄鍛冶に由来するという(日野郡史)。大山領で中組に属した。正保国絵図金谷村、正保期(一六四四―四八)作成と推定される伯耆国絵図(県立博物館蔵)金屋村と記される。享保四年(一七一九)の徳川氏朱印状では会見あいみ郡として村名がみえ高一四八石余(鳥取県史)。宝暦一二年(一七六二)の人数三一三(日野郡史)。天保三年(一八三二)の大山領郷村高帳(県立博物館蔵)では新開田畑一八石余、山林は六ヵ所で計三町八反余。慶応四年(一八六八)の大山領書上帳(遠藤家文書)による物成高五九石余、家数六〇・人数二七五(男一四〇・女一三五)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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