南光院(読み)なんこういん

日本歴史地名大系 「南光院」の解説

南光院
なんこういん

[現在地名]別子山村白尾

弟地おとじの西、白尾の余慶しらおのよけいの地にある。高野山真言宗。雲谷山と号し、本尊大日如来

院にゆかりの阿闍梨快盛は、伝承によるともと阿波国に住んで住民を救い、その後上野うえの(現土居町)に来て教化に当たった。さらに元禄七年(一六九四)別子銅山に来て加持祈祷により病人を助け、大蛇を退治し、学問を教えるなど教化に尽力、広く敬愛された。宝永三年(一七〇六)法印死去後、遺体を村外に持ち出したところ駕籠が動かなくなり、村に帰ってよけの地(余慶)埋葬、その地に南光院が建てられたといい、余慶に埋葬したのは法印の遺言によるともいう。住友家ではその徳をたたえ、文化年間(一八〇四―一八)本殿・鳥居を建立、南光院八幡(菩薩ともいう)と称えたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の南光院の言及

【別子山[村]】より

…旧別子と新居浜市側を結ぶ銅山越え一帯は銅山峰と称され,ハイキングコースとなっている。白尾にある南光院は,阿波の阿闍梨(あじやり)快盛が銅山を訪れて教化に尽力した寺で,快盛は没後,住友家によって南光院八幡としてまつられたという。銅山川最上流部には1966年別子ダムが建設された。…

※「南光院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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