金山本郷
かねやまほんごう
伊手村の西、大内村の北西に位置し、集落は雉子尾川に沿う。同川と阿武隈川の合流域にも小名原町などがあり、北は対岸の舘山村。西の丸森村との境をなす鬼形山(二六二・八メートル)などの山地が阿武隈川まで延び、突端が小名赤崎、その手前に台町がある。天文の乱後、当郷は丸森・小斎ほかとともに伊達氏領であったが、永禄七年(一五六四)相馬氏に攻略された。のち伊達氏と相馬氏とは合戦・和睦を繰返すが、天正九年(一五八一)暮れより同一二年にかけては金山城と丸森城をめぐる攻防戦が輝宗・政宗父子と盛胤・義胤父子との間で展開された。同一二年五月和議が成立し両城ともに伊達氏に返還され、金山城は戦功のあった中島宗求にその采地とともに与えられ、対相馬氏の要害となった(奥相茶話記・性山公治家記録)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 