日本歴史地名大系 「金山宿」の解説 金山宿かねやましゆく 山形県:最上郡金山町金山町金山宿[現在地名]金山町金山金山町(七日町・十日町・内町)に置かれた羽州街道の宿駅で、南方新庄宿より三里二三町、北の及位(のぞき)宿(当宿の補助宿、現真室川町)までは二里三五町(安政五年「五海道中細見記」)。慶長七年(一六〇二)佐竹氏が秋田に入部し、羽州街道が雄勝(おがち)峠を越えるようになって以後、徐々に宿駅として整えられていったと考えられる。金山・及位両駅定書(松田文書)などによれば十日(とおか)町・七日(なのか)町の両町は寛文七年(一六六七)には御買綿、延宝八年(一六八〇)には夫銀・御伝馬銀・麻糸の上納を免除され、元禄三年(一六九〇)には薪・糠・藁の上納を永代免除されている。 金山宿かねやましゆく 宮城県:伊具郡丸森町金山本郷金山宿[現在地名]丸森町金山 町雉子尾(きじお)川の右岸に沿い、近世期金山要害の北西に形成された町場で、国道一一三号が通る。幹線道を継ぐ宿場ではなく、「金山本郷安永風土記」によれば、丸森宿へは二八町余・本荷二〇文、角田(かくだ)宿へは二里九町余・本荷五七文、金津(かなづ)宿(現角田市)へは一里二八町余・本荷四五文、坂本(さかもと)宿(現亘理郡山元町)へは二里三〇町余・本荷七一文、黒木(くろき)宿(現福島県相馬市)へは旗巻(はたまき)峠を経て三里二九町余・本荷一六一文であった。「奥相茶話記」によると、永禄八年(一五六五)金山城築城の折、平坦部に市店が設けられたという。 金山宿かなやましゆく 岐阜県:益田郡金山町金山村金山宿[現在地名]金山町金山金山村の町方にあたる。濃飛の国境に位置する飛騨街道の要衝で、当宿から馬瀬(まぜ)川沿いに北上する和良(わら)街道、西方上有知(こうずち)(現美濃市)へ向かう道が分岐する。上市場道東(かみいちばみちひがし)・下市場(しもいちば)の字名が残る。「濃州徇行記」によれば、東西五町・南北五町で町並が続く。商家が多く中ほどに金山役所、ほかに役所付問屋・茶問屋・高荷問屋などがあり、飛騨から送られる木材・茶・炭・薪・油・酒・味噌などを扱った。北の飛騨国益田郡渡(わたり)村との間、飛騨川と馬瀬川の合流点付近に渡しがあった。当地は飛騨からの榑木などの小木材が陸揚げされる金山湊でもあり、木材は川下げされるほか飛騨街道や津保(つぼ)街道を通って運ばれた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by