金広村
かねひろむら
[現在地名]富山市水橋金広
白岩川右岸沿いに位置し、北は中馬場村。戦国期この一帯は度重なる洪水のため広大な荒地で、豪族細川宗十郎が館を構えた折にこの地を馬場にしたという。その後、家臣の金広某が開拓を行ったのが村名の由来と伝える(水橋町郷土史)。正保郷帳では高四六六石余、田方二四町二反余・畑方六町八反。明暦二年(一六五六)の村御印留では草高二三八石・免五ツ、小物成は鮭役一四匁。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では変化なく(三箇国高物成帳)、元禄九年(一六九六)の検地引高二七石により、天保一一年(一八四〇)には打銀高二一一石(「高免帳」杉木家文書)。所属組は上川原村と同じ。灌漑は白岩川水系の上条用水を利用。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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