金本知憲(読み)カネモトトモアキ

デジタル大辞泉 「金本知憲」の意味・読み・例文・類語

かねもと‐ともあき【金本知憲】

[1968~ ]プロ野球選手・監督広島の生まれ。平成3年(1991)プロ野球の広島東洋カープ入団。のち阪神移籍チームの中心選手として活躍した。平成16年(2004)には打点王のタイトル獲得。連続1492試合フルイニング出場はプロ野球記録。引退後は阪神の監督に就任した。

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知恵蔵 「金本知憲」の解説

金本知憲

日本の元プロ野球選手で、阪神タイガース監督。1968年4月3日生まれ、広島県広島市出身。身長180センチメートル、体重87キログラム。現役時代は右投げ左打ちの外野手だった。オールスター出場11回、ベストナイン選出7回。
10歳の時に、地元のリトルリーグチームである広島中央リトルで野球を始める。広島市立大州中学校では軟式野球部に所属。キャプテンを務める。広陵高校に進学し、硬式野球部では2年生からレギュラーとなる。しかし県予選で敗れて、甲子園には出場していない。高校卒業後、1年の浪人生活を経て、88年に東北福祉大学へ進学。野球部へ入り、1年生からレギュラーポジションを獲得する。4年生の時には、全日本大学野球選手権で同大学初優勝に貢献し、日米大学野球の日本代表に選ばれた。91年のドラフト会議で広島東洋カープから4位で指名されて入団。プロ野球選手となる。
広島では3年目の94年に90試合に出場して足掛かりを作ると、翌95年には104試合に出場してレギュラーポジションを獲得。打率.274、24本塁打、67打点の成績を収めてチームの主軸の1人となり、初のベストナインに選ばれた。99年4月24日の中日戦で、史上49人目となるサイクルヒットを記録。同年7月21日の阪神戦から、連続フルイニング出場が始まった。2000年には打率.315、30本塁打、30盗塁をマークして、史上7人目となるトリプルスリーを達成。同年5月12日から01年9月28日にかけて、1002打席連続無併殺打の日本記録を樹立している。02年オフにFA権を行使して、阪神タイガースへ移籍した。
移籍1年目の03年には主に3番レフトで起用され、阪神18年ぶりのリーグ優勝に貢献。日本一には手が届かなかったが、4本塁打、3試合連続本塁打、1試合2本塁打の日本シリーズタイ記録を達成した。04年は開幕から4番を任され、連続4番先発出場が始まる。7月29日の中日戦では左手首に死球を受け、まともにスイングができる状態ではなくなったが、翌日の試合では右手だけで安打を放つなどして試合に出続けた。この年は113打点をマークして、自身初タイトルとなる打点王に輝いている。05年は打率.327、40本塁打、125打点のキャリアハイを記録し、阪神2年ぶりのリーグ優勝に貢献。セ・リーグ最優秀選手に選ばれた。06年4月9日には、アメリカ大リーグのカル・リプケンが持っていた記録を抜く904試合連続フルイニング出場の世界記録を樹立。鉄人と呼ばれるようになる。08年4月12日には2000本安打を達成。09年には4月8日の広島戦、4月10日の巨人戦でいずれも3打席連続ホームランを放ち、史上初となる月間2度の3打席連続本塁打を記録した。
しかし10年3月のオープン戦前の練習で味方選手と激突して右肩を故障。シーズンに入っても完治せず、送球に支障をきたすため、自ら首脳陣に申し出て4月18日の試合でスターティングメンバーから外れた。これにより連続フルイニング出場は1492試合、連続イニング出場は13686イニングの世界記録を樹立してストップ(連続フルイニング出場はギネス認定されている)。また連続4番先発出場も、880試合の日本記録を作って止まった。12年6月28日には、大学を経てプロ入りした選手では初となる2500本安打を達成。同年限りで引退した。21年間のプロ野球通算成績は、2578試合に出場し、打率.285、476本塁打、1521打点だった。
引退後は野球解説者・評論家として活動していたが、阪神からの監督就任要請を受けて、15年10月17日に受諾する旨を発表。第33代阪神タイガース監督となった。

(場野守泰 ライター/2015)

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知恵蔵mini 「金本知憲」の解説

金本知憲

元プロ野球選手、阪神タイガース監督。1968年4月3日、広島市生まれ。広陵高等学校、東北福祉大学を経て、91年にドラフト4位で広島東洋カープに入団。2000年には、3割・30本・30盗塁を達成した(日本プロ野球史上7人目)。02年のシーズンオフにフリーエージェント(FA)で阪神タイガースへ移籍。04年、700試合連続フル出場の日本プロ野球タイ記録を作り打点王に輝く。05年、打率.327・40本塁打・125打点と自己最高をマークしセ・リーグのMVPを獲得。06年には世界新記録となる904試合連続フル出場を達成した。08年に2000本安打・400本塁打、10年に450本塁打を達成。12年、現役引退。ベストナインを7回獲得し、通算2539安打(日本歴代7位)・476本塁打(同歴代10位)・連続試合出場1766試合(同歴代2位)・連続フル出場1492試合(世界最多)を記録した。その後、野球解説者・野球評論家などとして活躍。15年10月17日、阪神タイガースの監督に就任したことが発表された。

(2015-10-21)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金本知憲」の解説

金本知憲 かねもと-ともあき

1968- 平成時代のプロ野球選手。
昭和43年4月3日生まれ。右投げ・左打ち,外野手。東北福祉大4年の平成3年全日本大学野球選手権優勝。同年広島カープに入団。公式戦初出場は4年の対阪神戦。6年後半からレギュラーに定着し,7年にはベストナインに選ばれる。12年打率3割・30本塁打・30盗塁を記録。15年阪神タイガースに移籍。16年打点王(113)。17年セ・リーグ優勝に貢献し,最優秀選手賞(MVP)。20年2000本安打・400本塁打・2000試合出場を達成する。同年7度目のベストナイン。24年引退。公式戦生涯記録は2578試合出場,2539安打,打率2割8分5厘,1521打点,476本塁打。1492試合連続フルイニング出場の世界記録をもち「鉄人」と呼ばれた。広島県出身。東北福祉大卒。

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367日誕生日大事典 「金本知憲」の解説

金本 知憲 (かねもと ともあき)

生年月日:1968年4月3日
平成時代のプロ野球選手

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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