日本歴史地名大系 「金石山八幡宮」の解説
金石山八幡宮
かないしやまはちまんぐう
[現在地名]福栄村大字福井下 市
「注進案」によれば、長和三年(一〇一四)山城国山」(赤羽根山)に勧請したという。応安(一三六八―七五)の頃火災により焼失。永和元年(一三七五)金田左衛門太夫教永なる者が霊夢によって旧地より一〇町ほど西の当地に再建、永徳二年(一三八二)大内義弘の帰依を受け、教永は神職鼓頭となるべき公文書を賜ったという。「注進案」に載せる福井村八幡宮神主金田出羽介所蔵という文明一二年(一四八〇)五月二八日付の問田弘藤の判のある文書には「長門国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報