釜伏峠
かまふせとうげ
現在の皆野町三沢と寄居町風布との境にある標高五三三メートルの峠で、県立長瀞玉淀自然公園の中に含まれる。峠の北隣、寄居町側に釜を伏せたような山容の山(釜伏山)があることが峠名の由来という。南方の粥新田峠には日本武尊が粥を煮て食べた所という伝承があるが、その粥を煮た釜を伏せておいたのが当地であるとの地名説話も伝えられる。江戸時代、秩父盆地から寄居町(現寄居町)を経て中山道に出るには、荒川沿いの秩父往還と当峠越の道があった。秩父往還には途中難所があったため、当峠を利用する者が多く、物資も多くは当峠を通過した。「風土記稿」風布村の項には「道幅三尺ヨリ六尺ニ至ル(中略)秩父観音ノ巡礼道ニシテ、是ヲ山通リト云」とあり、同三沢村の項では「路幅七尺」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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