釜子陣屋跡(読み)かまのこじんやあと

日本歴史地名大系 「釜子陣屋跡」の解説

釜子陣屋跡
かまのこじんやあと

[現在地名]東村釜子

水戸街道が通る字本町もとまちの中央から西に入って約五〇メートル、およそ三ヘクタールの敷地に裁所・奉行所・道場が建てられ、裏門の所に代官屋敷があり、それを取巻くように藩士長屋が建てられていた(東村史)。寛保元年(一七四一)越後高田藩士となった榊原氏は、一五万石のうち八万四千石・一二四ヵ村の飛地を石川・岩瀬白河・田村各郡のうちにもち、陣屋を石川郡浅川あさかわ(現浅川町)に構え、寛政一〇年(一七九八)二月の陣屋勤務者は奉行・目付など役職約四〇名、足軽六〇名ほどであったという(浜田古事考)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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