鈴岡城跡(読み)すずおかじようあと

日本歴史地名大系 「鈴岡城跡」の解説

鈴岡城跡
すずおかじようあと

[現在地名]飯田市駄科

駄科だしなの西北部の台地上に位置。伊賀良いがら台地が東方に延びた突端部で標高四九〇メートル。北方に深さ六〇メートルの毛賀沢けがさわの谷があり、これを中にして松尾小笠原氏の松尾まつお城に相対する。東方は駄科・長野原ながのはらの平坦地を望み、南方は伊賀良井の谷を中にして念通寺ねんつうじ山のまつさき台地に対し、西方は伊賀良台地でしだいに高く緩やかな傾斜地となっている。平山城で、多くの堀や郭が設けられている。

鈴岡すずおか城は、信濃小笠原氏の代表的存在として、威を東国に振るった鈴岡小笠原氏の政秀の居城であった。明応年間(一四九二―一五〇一)に小笠原氏の内紛により、松尾の小笠原定基と知久氏の連合軍に襲われて落城し、鈴岡小笠原氏は滅亡した(矢島文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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