鈴木忠志(読み)すずきただし

百科事典マイペディア 「鈴木忠志」の意味・わかりやすい解説

鈴木忠志【すずきただし】

演出家。早稲田大学在学中から学生劇団で活躍,1966年には劇団早稲田小劇場を創立。寺山修司唐十郎らとともに小劇場運動の推進者として知られる。《劇的なるものをめぐってII》(1970年),《トロイアの女》(1974年)などは海外でも評価された。1976年から富山県利賀(とが)村(現・南砺市)に本拠を移し,1982年から日本初の国際演劇祭〈利賀フェスティバル〉を開催,また早稲田小劇場をSCOT(鈴木カンパニー・オブ・トガ)と改称した。1990年からは水戸芸術館ACM劇場の芸術監督も務める。〈鈴木メソッド〉と呼ばれる,下半身の感覚を重視したユニークな俳優訓練法でも知られる。著書に《演劇とは何か》(1988年)など。
→関連項目小劇場演劇

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木忠志」の解説

鈴木忠志 すずき-ただし

1939- 昭和後期-平成時代の演出家。
昭和14年6月20日生まれ。36年新劇団自由舞台,41年早稲田小劇場(現SCOT)を結成,小劇場運動のにない手のひとりとなる。白石加代子主演の「劇的なるものをめぐって」「トロイアの女」などで国際的に注目され,57年から富山県利賀(とが)村で世界演劇祭を開催。63年水戸芸術館ACM劇場芸術総監督。平成7年静岡県舞台芸術センター芸術総監督。静岡県出身。早大卒。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鈴木忠志」の意味・わかりやすい解説

鈴木忠志
すずきただし

早稲田小劇場」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の鈴木忠志の言及

【劇団】より

…その一方,唐(から)十郎(1940‐ )らの〈状況劇場〉が63年に結成され,67年に紅(あか)テント劇場の活動を開始した。1966年には,東京早稲田の喫茶店2階の小空間をけいこ場兼用の小劇場とする鈴木忠志(ただし)(1939‐ )らの〈早稲田小劇場〉が結成され,佐藤信,串田和美らの〈自由劇場〉(正式名称は〈アンダーグラウンド自由劇場〉)も同年活動を始めた。翌67年には,寺山修司(1935‐83)らが〈天井桟敷(てんじようさじき)〉(正式名称は〈演劇実験室天井桟敷〉)を創設,さらに68年に蜷川幸雄らの〈現代人劇場〉が結成された。…

【前衛劇】より

…【利光 哲夫】
[日本における新しい演劇]
 日本においても1960年代・70年代,とくに67年以降70年代前半にかけては,〈新しい演劇〉の活動がきわめて活発に行われた時期であった。具体的には,当時の新聞紙上を一種の風俗的な〈事件〉としても賑わすことの多かった,唐十郎(からじゆうろう),寺山修司あるいは鈴木忠志(ただし),佐藤信(まこと)などの活動であるが,これらは当時,〈アンダーグラウンド演劇〉あるいはしばしば略して〈アングラ演劇〉などという名前で,マスコミに総称されていた。この〈アングラ演劇〉という名称は,もとをただせば英語からの移入であるが,実際にいくつか現れた地下劇場なども念頭に置いて,その劇的想像力の上で白昼的であるよりは地下的な,体制的であるよりは反体制的な,一群の新しい演劇の全体的傾向をとらえて,ジャーナリズムが命名を行い,しだいに定着していったものと思われる。…

※「鈴木忠志」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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