鈴木源之丞(読み)すずき・げんのじょう

朝日日本歴史人物事典 「鈴木源之丞」の解説

鈴木源之丞

没年明和1?(1764)
生年:生年不詳
江戸中期の百姓一揆指導者,義民。下野国(栃木県)河内郡宇都宮藩領御田長島村名主であったが,明和1(1764)年の同藩の徴租法変更(五合摺から六合摺への復帰と引きかえに用捨引を廃止)に反対して,明和1年9月12日に百姓数百人が宇都宮城下へ押しかけ,城下や近隣の豪商宅を打毀した,いわゆる籾摺騒動の指導者として,今泉新田名主の六兵衛および亀右衛門(または太郎兵衛)と共に死罪となった。その後源之丞は義民として祭られ,供養碑が子孫の鈴木家にあるほか,「喜国大明神」として同村に「喜国神社」が建立された。六兵衛と亀右衛門は平出神社(宇都宮市平出)に「喜国明神」として祭られた。

(斎藤善之)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木源之丞」の解説

鈴木源之丞 すずき-げんのじょう

?-1765 江戸時代中期の一揆(いっき)指導者。
下野(しもつけ)宇都宮藩領御田(みた)長島村の名主。明和元年宇都宮城下でおきた農民の強訴(ごうそ),打ちこわし,いわゆる籾摺(もみずり)騒動頭取として,今泉新田村名主六兵衛,上平出村太郎兵衛とともに2年10月に処刑される。のち喜国大明神としてまつられた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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