デジタル大辞泉 「鈴木竜二」の意味・読み・例文・類語 すずき‐りゅうじ【鈴木竜二】 [1896~1986]新聞記者。東京の生まれ。国民新聞の社会部長、政治記者として活躍後、昭和11年(1936)プロ野球球団大東京軍の代表に就任。昭和16年(1941)日本野球連盟専務理事。昭和27年(1952)から32年間セリーグの会長を務めた。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「鈴木竜二」の解説 鈴木 竜二スズキ リュウジ 昭和期の野球人 セ・リーグ名誉会長。 生年明治29(1896)年3月15日 没年昭和61(1986)年3月30日 出生地東京 学歴〔年〕海城中中退,工手専門学校卒 主な受賞名〔年〕勲三等瑞宝章〔昭和50年〕 経歴日本プロ野球育ての親。大正3年国民新聞社に入社。数々のスクープで名を上げ、“カミソリ竜二”の異名を取り、特に官界に強かった。昭和9年社会部長。10年時事新報社に。11年職業野球連盟発足と同時に、大東京常務・軍球団代表に就任。同時に日本職業野球連盟(のち日本野球連盟)理事を務め、同球団解散後、16年日本野球連盟事務長となり、球界運営の実務の最高責任者となる。21年プロ野球が復活すると、日本野球連盟会長になり、23〜26年日本野球連盟社長。25年のセ・パ両リーグ分立で、セリーグ常任顧問。27年から59年11月に勇退するまで32年間、セリーグの会長を務めた。57年野球殿堂入り。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木竜二」の解説 鈴木竜二 すずき-りゅうじ 1896-1986 昭和時代の野球人。明治29年3月15日生まれ。「国民新聞」の社会部長。政治部記者としても活躍。昭和11年プロ野球「大東京」の球団代表,日本職業野球連盟理事となり,プロ野球の基礎づくりにつくす。21年日本野球連盟会長,27年セリーグ会長。57年野球殿堂入り。昭和61年3月30日死去。90歳。東京出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by