鉄兜団(読み)てつかぶとだん(英語表記)Stahlhelm, Bund der Frontsoldaten ドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鉄兜団」の意味・わかりやすい解説

鉄兜団
てつかぶとだん
Stahlhelm, Bund der Frontsoldaten ドイツ語

1918年に創設されたドイツ右翼的在郷軍人団体。第一次世界大戦に敗れた直後の同年12月、ゼルテFranz Seldte(1882―1947)により、復員兵士を結集してつくられた。24年以後は、非従軍者の加入も認め、40万~50万の団員を擁した。右翼の国家人民党を支持し、31年10月に「ハルツブルク戦線」を結成するなど、ナチス党とともにワイマール共和国打倒に力を尽くした。33年1月ゼルテはヒトラー政府に労相として入り、同年6月35歳以下の団員はSA(エスアー)(突撃隊)に編入され、ほかは34年4月「ナチス・ドイツ戦士団」に再編された。35年11月解散。51年、ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)には鉄兜団が復活した。

[吉田輝夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鉄兜団」の意味・わかりやすい解説

鉄兜団
てつかぶとだん
Stahlhelm

前線兵士団 Bund der Frontsoldatenとも呼ばれる。 1918年 F.ゼルテが,ドイツの国土防衛意識の高揚を目指して創設した組織。当初は第1次世界大戦の参加兵士によって構成されていたが,24年頃からその枠が広げられ,30年頃には 30万人近くの構成員がいたといわれる。 29年以来ナチスやドイツ国民党と「国民野党的」活動を行い,33年にはナチスの突撃隊に併合されたが,35年ナチスによりその活動は全面的に禁止された。鉄兜団はワイマール共和国成立には反対したが,政党ではなく,また最右翼団体ともみなされなかったため,第2次世界大戦後のニュルンベルク裁判においても,犯罪団体として追訴されなかった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「鉄兜団」の解説

鉄兜団(てつかぶとだん)
Stahlhelm

1918年ドイツの敗戦直後,ゼルテによって創設された帝制復活を支持する在郷軍人団体。国家人民党に近い立場から,24年以来,非従軍者の加入を認めた。33年6月エス・アー(SA)に吸収された。

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世界大百科事典(旧版)内の鉄兜団の言及

【在郷軍人会】より

…ドイツでは,対ナポレオン戦争の際に各地に生まれた遺骨収集団,墓参団を母体に19世紀末にドイツ在郷軍人会Kyffhäuserbund der dt.Landeskriegerverbändeという官製組織が結成され,政府の意図に沿いマルクス主義思想や社会民主党勢力に対抗する役割を担った。第1次世界大戦後の欧州各国ではドイツの鉄兜団Stahlhelmやフランスの火の十字団(クロア・ド・フー)のような在郷軍人を主体とする武装集団が多数結成されて革命運動の鎮圧に活躍し,在郷軍人がファシズム運動の発生する一つの社会的基盤となった。アメリカでは1919年結成のアメリカン・リージョンが国防政策や反共政策の推進などの面で,国政に対する有力な圧力団体となっている。…

※「鉄兜団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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