日本歴史地名大系 「鉢石町」の解説
鉢石町
はついしまち
元和六年(一六二〇)徳川秀忠により日光山領および東照社領が寄進された際、「一山之衆僧・社家門前」とともに「初石」の居屋敷地子銭も免除された(「日光山領目録」日光山御宮方書物之写)。慶安郷帳では鉢石村とみえ、畑高七五石余。元禄一四年(一七〇一)の日光領目録では鉢石町とあり、高一六八石余。日光街道の終点で鉢石宿とも称された。鉢石町として日光東町に含まれ、宿村大概帳によれば街道関係は宿、地方関係は村、日光惣町に加わる時は町と使い分けていたという。なお宿の形成は正保年間(一六四四―四八)と当町では主張していた(寛政一〇年「旅人止宿出入につき請書」柴田豊久旧蔵文書)。下鉢石北側の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報