日本歴史地名大系 「銀屋敷跡」の解説 銀屋敷跡ぎんやしきあと 岡山県:岡山市岡山城下二日市町銀屋敷跡[現在地名]岡山市二日市町藩財政の逼迫により延宝七年(一六七九)藩札(銀札)が発行された。庭瀬(にわせ)口と野殿(のどの)口の中間に位置する西(にし)川沿いの桜木半之丞屋敷を普請し、銀札紙漉場・製造所とした。京都から彫工・印刷工八名を雇入れ、淀屋三郎左衛門・高知屋庄左衛門の両総年寄を札元に任じ、一〇〇匁に一分の割で銀見助兵衛に札包を命じて、同年末までに五七一万余枚、銀高にして三千四〇一貫余を製造した(「評定留」池田家文庫)。同年九月二日には藩札通用に関する法令が出されている。同月二一日、赤坂(あかさか)郡周匝(すさい)村(現赤磐郡吉井町)、浅口(あさくち)郡鴨方(かもがた)村(現鴨方町)、邑久(おく)郡牛窓(うしまど)村(現牛窓町)、津高(つだか)郡金川(かながわ)村(現御津郡御津町)、和気(わけ)郡片上(かたかみ)村(現備前市)、浅口郡西阿知(にしあち)村・児島(こじま)郡下津井(しもつい)村(現倉敷市)、同郡小串(こぐし)村(現岡山市)と、城下栄(さかえ)町の町会所に札場が設けられ(のち上道郡西大寺村・津高郡建部村を増設)、銀一〇〇匁につき札一〇一匁、札一〇二匁を銀一〇〇匁の割で札場役人に両替にあたらせた(「類纂」岡山市史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by