日本歴史地名大系 「銀座一丁目―同四丁目」の解説
銀座一丁目―同四丁目
ぎんざいつちようめ―よんちようめ
「豊公伏見城ノ図」と伏見城下総絵図は、ほぼ同時期の伏見城下を復元した絵図だが、各所において若干の相違がみられ、銀座一丁目から同四丁目一帯の描写には、大きな違いがある。伏見城下総絵図では、銀座地域がほかの両替町通とほぼ同じように町家地区となっているのに対し、「豊公伏見城ノ図」では、西側に銀座の役所などが記入されている。銀座が設けられるのは慶長六年(一六〇一)のことであるから、「豊公伏見城ノ図」はその表題とは異なり、秀吉没後の家康統治下の伏見銀座を記し、伏見城下総絵図は伏見銀座設置以前の町家地区としての両替町筋を描いているということか、あるいは、慶長一三年伏見銀座廃止移転後を描いているのかもしれない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報