鋪名村
しきなむら
[現在地名]井原市井原町・
笹賀町、
後月郡
芳井町
与井・
吉井 笹賀村の北にあり、西は高屋村、東は井原村。敷名村とも記した。古くは笹賀村金敷寺の寺領であったといわれ(後月郡誌)、おもな集落は井原村と入会う地(清迫)と笹賀村と入会う地の二組に分れていたと思われる。寛永備中国絵図では山崎家治先知とみえ、高一〇七石余。正保郷帳では幕府領で、枝村に清迫村が載る。延宝五年(一六七七)の検地帳(後月郡誌)では古検有畝九町四反余とあり、田方七町六反余・分米一〇一石余、畑方四町四反余・分米二三石余、反別合計一二町余・分米合計一二八石余、屋敷三反余で屋敷数一四、名請人数三六。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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