錦木塚(読み)にしきぎづか

日本歴史地名大系 「錦木塚」の解説

錦木塚
にしきぎづか

[現在地名]鹿角市十和田錦木 古川

古川ふるかわの集落西側にある径およそ四メートル、高さ一メートルの塚。前面に銀杏と杉の古木がある。

奥羽永慶軍記」の「浄法寺口合戦の事」に天正一九年(一五九一)のこととして「出羽国より寄し軍勢は鹿角に打入、狭布里錦木塚を経て、花輪の里に充満ちて」とある。古河古松軒の「東遊雑記」には「錦木塚と称ふる所 小さき山にて方四間余、高三尺五寸余にて傍に岩一つ有、杉の大樹一本繁茂す」と記す。狭名大海の娘政子と、草木くさぎ里の若者との悲恋伝説があり、塚は二人の墓という。鎌倉時代の「袖中抄」は「詞花集」などの和歌を引いて陸奥の「にしき木」「けふの細布」について述べ、世阿弥作という能「錦木」(古名「錦塚」)はこの両者を題材とするという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報