鎌掛城跡(読み)かいがけじようあと

日本歴史地名大系 「鎌掛城跡」の解説

鎌掛城跡
かいがけじようあと

[現在地名]日野町鎌掛

鎌掛集落の東部、城(しろ)山(三六〇メートル)の頂上にある。貝掛城とも書き、中世蒲生郡一帯に勢力のあった六角氏家臣蒲生氏の支城。同氏の本城は音羽(おとわ)城(のちに中野城に移転)であったが、当城は建武二年(一三三五)頃に中野左衛門尉清信により築城されたと伝える(温故録)。当城の西側を近世には御代参(ごだいさん)街道として整備される間道が通るが、同道は笹尾(ささお)峠を経て近江から甲賀・伊賀方面へ通じる軍事的に重要な道で、この間道を押える目的で築城されたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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