鏑木城跡(読み)かぶらきじようあと

日本歴史地名大系 「鏑木城跡」の解説

鏑木城跡
かぶらきじようあと

[現在地名]干潟町鏑木 古城など

鏑木氏居城とした戦国期の城跡。三方谷津に区画された独立状の標高四四―四五メートルの台地全体に占地している。寛喜年間(一二二九―三二)白井胤時(千葉胤政の子)の子胤定が鏑木郷地頭として入り、鏑木氏を称し、天正一八年(一五九〇)まで支配した。同年頃の北条家人数覚書(毛利文書)には「蕪木駿河守 かふらき城 三百騎」とある。なお永禄三年(一五六〇)から同九年にかけて里見氏の家臣正木氏の東総侵入の際、鏑木氏は八日市場で戦に及び、敗走したという(東国戦記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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