長坂口
ながさかぐち
鷹ヶ峰から長坂を経て杉坂に至る丹波街道の登り口辺りをいう。
京都に出入りする京都七口の一つに数えられ、早くよりこの地にはしばしば関所が設置された。なかでも内蔵寮の率分関が早く、元弘三年(一三三三)五月二四日の内蔵寮等目録に、
<資料は省略されています>
とみえ、これ以前、おそくとも鎌倉末期にはこの地に関を設けていたことが確認できる。
この長坂率分関は復活されたようで、応永一三年(一四〇六)一二月、内蔵寮を管領していた山科家は長坂率分の年貢を二貫五〇〇文と定め、一貫五〇〇文を安芸入道なるものの請負、残り一貫文を沙汰人分として目代に宛行っている(「教言卿記」同月二九日条)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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